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父は几帳面だったのね [家族のこと]

寝室の整理をしている時にわかったんですが
父は壁のボードに自分が重要だと思うところの電話番号や住所などを紙に書いて
貼っていました
私の連絡先も貼ってあったわ(笑)

その中に以前母が介護認定を受けた時の連絡場所の電話番号と担当の方の名刺が
貼ってありました

そのおかげでどこに相談したらいいのかすぐにわかって連絡することができた
昨日兄と私で介護について一から教えていただき改めてこれから大変だなと思いました

認知症
足がおぼつかなくて転びやすい
お風呂・食事・一人ではできない
週3日の透析
共働きの兄夫婦

これからは担当のケアマネージャーさんが決まると思うのでその方と
いろいろ相談していきます

デイケアにお世話になるにしても認知症を扱ってる施設って意外と少ないんですって
それとデイケアってだいたい6時くらいまでだそうで共働き家庭の場合
8時くらいまで預かってほしいんだけどその希望が通る施設もかなり少ないと。。。。

なかなか難しいもんですね












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父が他界しました [家族のこと]

まだ気持ちの整理ができておりませんが。。。。

11月3日 父が亡くなりました

病名は「 肝細胞癌 」

今年の初夏ごろ父が私に足を見せ脛を指で押しながら「ちょっと浮腫んでるんだよ」と。。。。
そんなにひどくはなかったけど押した所に指の後が少し残ってる

私は浮腫む経験がないので「病院で診てもらって」と言うと

「〇〇(かかりつけの病院)で診てもらってるよ 浮腫みは病気じゃないんだって」
「利尿剤出されてるから大丈夫」

「診てもらってるなら大丈夫だね」と安心した記憶がある

夏になって足を見るとゾウの足のようになってる
浮腫みが引いてない
オシッコの出もあまり良くないと言ったので

「腎臓かもしれないし前立腺かもしれないから専門の診療科で診てもらったら?」

それでも父は「先生から浮腫みは病気じゃないって言われてるから大丈夫だよ」と。。。。


10月に入っても浮腫みは良くならない
そんなに食べてないのにお腹が太く見える 腹水じゃないかしら。。。。
利尿剤飲んでるのに浮腫みがとれないのはおかしいからやっぱり専門の病院を紹介してもらったら?

「今度〇〇行ったら話してみる」

かかりつけの病院では利尿剤を倍に増やされただけで他の科を受診することは言われなかったらしい

利尿剤を倍にしたことで夜中に尿意がすごく一睡もできなかったと父から電話

その後病院で眠れなかったと言うと睡眠剤を出された

睡眠剤を飲んだ翌日 睡眠剤が効きすぎたのかヘロヘロになって電話してきた

翌日も体がだるくてたまらないと。。。。
さすがに睡眠剤はもう体が抜けてるはずなのに。。。。。
食欲もないと。。。。

10月20日 兄に頼んで検査の出来る病院に連れてってもらった
即入院になった

10月23日病院から検査の結果を説明したいが兄と連絡が取れないと。。(平日で仕事中だからね)
どうしても今日中に説明をしたいと言われ私一人で先生から話を聞く

肝臓に腫瘤が散在している 一つは15cmほど
肺にも散在している
血糖値の不安定 
血管を圧迫してるので浮腫みや心臓に負担が出て心不全を起こしている
・・・・・

原発は肝臓でしょう
末期の状態
手術や抗がん剤をする体力もないしやってももう遅い状態
いつ急変してもおかしくない状態1日1日単位の命です

その夜は眠れませんでした

まさか父がそんなに悪い!?
入院前までは普通に食事して車も自分で運転してたのに


父には告知しませんでした


これから痛みが強くなっていくとのこと
父が辛くないようにする痛み止めは眠気が出るのでそうなるともう話をすることは出来ませんとのこと

入院して2~3日経つと浮腫みが引いて足らしくなってきた
でもその後は日に日に体調は悪くなった
病院食はフルーツやヤクルトしか食べないので
「食事の量が少ないので好きな物を食べさせていい」と許可がでました
父の好きな飲み物・プリン・ゼリーを買って食べさせた

10月29日 豚肉ですき焼き味のおかずと卵焼きを作って病院に持参

手の力がなくなってしまったので私が食べさせてあげると
「今日のごはんは今までで一番美味しいね」って

「私が作って来たんだよ」と言うと喜んで食べてくれた
「明日はお父さんの86歳の誕生日だね」

「うん わかってるよ」そう言った

翌10月30日 父の誕生日 お昼に病院へ行くと父は薬で眠っていた
その日から体は動かしてるけど目はつむったままになってしまった

11月2日 体を動かすことはなくなり眠ってた オシッコも出なくなってたので
そろそろなのかなとは思ってました
「明日は〇〇(孫の名前)が来てくれるから頑張ろうね」と声をかけた

11月3日 朝5時 兄から血圧がとれなくなったらしいと連絡きた
すぐに病院へかけつけたけど間に合いませんでした


入院して2週間でした

正直 母の方が食事もあまりとらず透析してるので先に亡くなると思ってました
その後 父を温泉に連れてってあげたいと思ってた

父は2ヶ月毎に血液検査もしてたし健康診断もしてました
今年の夏は血糖値が今までで一番良かったと喜んでました
肝臓は脂肪がついてるって言われたと。。。。

入院中 最後の血液検査の結果を父は持ってて見せてくれました
CRPがバーンと高いんです
それなのにかかりつけの病院では何も言われなかったなんて信じられませんでした
亡くなった後5月からの血液検査の結果も見つけましたけど
肝臓の数値がどんどん上がってた
それでも何も言われないなんて。。。。。

何のための血液検査なの!?

入院していた病院の先生からは肝臓は自覚症状が出にくいですからって。。。。
黄疸が出なかったのも腫瘤の出来た場所が黄疸を起こすところを避けていたからでしょうって。。。。
入院するまで普通の生活が出来てたのは良かったことだと思いますって。。。。。


それでももっと早くに他の病院へ連れて行ってあげてたら
母のことばかり気にしてて父は大丈夫だろうと思い込んでた
後悔しても遅いのはわかってます。。。。。でも。。。。。という思いです




父が亡くなって母も混乱してるのでしょう
告別式の時は私のことがわからなくなりました
先日は自分の名前が出てこなくなったり 今いる自宅をここはどこ?と聞いたり
それでも父が亡くなったことは理解しているようで寂しい寂しいと言ってます




父と最後に撮った写真
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生前 葬儀はしなくていいと言ってた父
家族葬にしました
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お父さん ベルナーに会えたかな



明日は介護センターの方に来ていただいて母の今後について相談します















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